― 春闘講座:中野麻美さんの講演から ―
2月28日、派遣労働ネットワーク代表の中野麻美弁護士を講師にお招きして春闘学習会を開催しま
した。格差社会の現実をその根元から掘り起こし、さらに力強く克服の展望を語る中野さんのお話に大
きな勇気をいただきました。講演のハイライト部分を編集して掲載します。中見出しも編集部が付けまし
た。したがって文章上の責任は全て編集部にあります。なお、講演記録パンフを近日中に発行しますの
で、中野さんの著書『 労働ダンピング ―雇用の多様化の果てに 』(岩波新書)とあわせて、是非ご購読
ください。
◇ 貧困は自己責任か
こんにちは。ただいまご紹介いただきました中野です。格差社会ということが、今語らなければならない
一番大きな政治的な、経済的な課題になっているわけですけれども、この格差という言葉の中に含まれて
いる深刻な意味合いをどれほどの人たちが実感しているのか、こういう風に思ったりする今日この頃です。
私は、日本の社会に進行している仕事と所得の分離、二極化っていうのはその中に人々の貧困化とそ
れから不合理な差別っていうものを含みながら拡大してきているという意味で非常に深刻だと思います。
私が、あーやっぱり事態の深刻さっていうのは、こういう所でもあるんだということを思いしらされたのが、
昨年の4月の『文藝春秋』っていう月刊誌が発表した衝撃ルポでした。「衝撃ルポ 下層社会の現実」とい
うので、足立区をとりあげていまして、足立区で暮らす勤労世帯の人々の暮らしぶりというのはどれだけ
深刻なのかということを取り上げています。私はそれに2つ衝撃が走ったんですけれども、一つは夫婦働
いても生活保護給付以下の所得しか得られないっていうその世帯の夫の職業というのはタクシーの運転
手、それから妻の職業というのが近所のスーパーのレジで働くパートということで、この2つの収入をあわ
せても、何人かの子どもを育てていくのに必要な、憲法 条に基づいた制度化されている生活保護給付の
水準にも満たないというのです。
それでこの衝撃ルポをとりあげて色々なメディアがコメンテーターなどに発言させたりしましたが、ある朝
の番組だったと思うんですが、女性のコメンテーターがこういう取り上げ方はおかしいと言い出したんです。
何故おかしいのかって言いますと、この人たちは努力していないっていうんですね。努力すれば必ず生活
できるだけのものは得られるはずなのに、努力していないからこんな状態に置かれるんだと。だからこう
いう形であたかも貧困の危機においやられている人たちを正当化するようなとりあげかたをすること自体
が、やはり日本の社会から活力を奪う原因になっているんじゃないかっていうこういう言い方をしたんです。
私はそれを聞いて、非常に深刻だなと思いました。この彼女の何でも市場原理に任せれば、競争原理
にまかせれば、社会は活性化していくんだというような、アメリカから導入したような新自由主義ですね、
そういう規制緩和の政策っていうのは、こういう風に人々の考え方を変えてきたってことに愕然とさせられ
たわけです。どういう風にして変えられたのかっていうと、市場原理の中で努力しないものがおかしいんだ
っていう、なんていうんですかね、その人の努力によっては克服できないような元からある貧困だとか差別
っていうものが、色々な格差っていうものを規定しているのに、そこから抜け出ようと思っても中々難しい
という現実があるにもかかわらず、そして市場原理にそういう人たちをさらせばもっと貧困化して差別が拡
大していくっていう、それが現実にも関わらず、抽象的に努力すれば報われるんだっていう考え方と、そう
いう状態にあるっていうのがその人が悪いからだっていう自己責任の考え方が非常に強く人々を支配して
いるんだなっていうのを実感させられました。
それこそ平然と発言させてしまうような社会環境、もうここまで日本の社会はきているのかと思ったのが
一つと、それとここに書いてあるタクシーの運転手とパートっていうのが、片やタクシーの運転手というの
は規制緩和政策の中で事業の参入規制だとか様々な事業規制が撤廃がされる中で、競争が激化させら
れて、そして働いても働いても賃金水準が低下していくという、そういう業界にあるわけです。ある人から
聞いたんですけど、黄色になりかけのとき突っ走っちゃうっていうんですね。人がいないことを前提に突っ
走るんだってね、もう滅茶苦茶な運転手がやはりいるっていうんですよ。そうしないと、要するにお客さんを
回転して、車を回転して、車からは利益を受けることができないんだっていう話を聞いたときは、やっぱり
規制緩和というのはすごいものなんだなって思うんですね。で、こういう政策の中で、とにかく努力する余
地もなく賃金を落とされていくっていう業界が本当に多くあるということなんです。で、これが努力しないって
いうことなのかっていうと、それは違うということはもう明らかだと思うんです。
◇ パート賃金は反憲法的だ
それからパートの賃金というのは一体なんなのかというと、私は、もう反憲法的だと思うんですよ、日本の
パートの水準というのは。例えば、八百円のパートとか増えてますけど、この八百円で例えば子ども二人抱
えて、乳飲み子ですよ、2人抱えて、生きていくために生活保護給付を受けようとすると、東京都では 万
円ぐらいの、住宅から医療から色々の給付を受けて、トータル月額 万ちょっとの給付をうけることができる
わけですよ。それが ヶ月で、240万から252万という水準になる。これが我が国における憲法 条の最低
水準で保障されている所得水準というふうにみてもいいわけですよ。ところが、パートの八百円賃金というの
は、その水準まで稼ごうと思ったら、なんと3000時間働かなきゃいけない。
3000時間を越えるというのをどういう水準として政府が見ているかというと、1993年という非常に古い
年代の調査なんですけど、この年代で経済企画庁経済研究所が発表した研究論文で「労働者の働き過ぎ
と健康障害」という論文があるんです。この論文というのは、男の労働者を中心にして、何時間働いている
人がいるのかっていう分布を示しながら年間3000時間を超えて働く男性が5人に1人もいて、こういう人
たちを放っておけないといって、とにかく過労死のデッドラインだって言っているんですね。パート労働者っ
ていうのは、低賃金の中で自立して生きようと思うと死ぬほど働かなきゃいけないっていう水準なんですね。
命と健康というのは、抽象的には言っているけれど、この低賃金が意味するものっていうのは、要するに
人から自立して生きていく為には、人から自立して生きていくっていうのは人権だと思うけれど、それを追求
しようと思えば、命を落とさなければいけない。これで女性という立場に置き換えてみると、労働者が女性で
あった場合には、乳飲み子を抱えたりあるいは子ども達を育てていかなきゃいけないとか介護する、親をみ
ていかなきゃいけないという状況におかれていると家族的責任っていうのを考慮すると、3000時間働いた
うえに子ども達の世話も色々して、しかも働かなきゃいけない、睡眠時間もないっていう状況になるわけです
よ。こういう労働っていうのは、別に彼女がより高額な所得をうけられる労働を見つけられなかったっていう
責任の結果じゃないんですよね。社会がこういう労働を許容してきたっていうか、放置してきた結果として、
今働くとしたらこの八百円労働しかないっていう状況にある、しかもこういう労働が広がっているっていうのは、
どういうことを意味するかっていうことなんですよね。
◇ 規制緩和が貧困を蔓延させた
国際的に非常に貧富の格差を広げてきたというこの規制緩和、これを一言で言うと国境を越えて資本が
自由に人間と自然を収奪できる体制を作るっていうことです。規制を緩和していくなんていう綺麗な言葉で
言うべきじゃないっていう風に思うんです。要するに資本の構造というものを制約してはじめて人間社会っ
ていいますかね、人間が主人公の社会が出来上がっていくわけです。経済を担っているのは人間ですし、
誰のために経済があるのかというと人間のためにあるわけですから、その生活あるいは人々の連帯とい
うのも生きていく上で不可欠なんですけれども、そういうものをきちんと保持するためには資本の暴力的な
行動というのを制限しなければいけない。だからこそ各国の規制ができてきたわけです。社会保障の連帯
システムなんかみんなそれなんです。あるいは労働法の仕組みなんてのはその典型なんですよ。ところが
それを緩和しろと、自由に資本が行動できるようになれば活性化するんだっていうふうに言ってますけど、
それはコール人間と自然を収奪する体制を国境を越えてつくるということなんです。この規制緩和、自由化
路線を小泉内閣はこの5年間、突っ走ってやりつづけたわけです。
そういう具合に買いたたきっていうものが促進されるような国際社会の状況というのがあるわけです。そ
して、日本の社会の中で、そういった低賃金労働が広がるっていう基盤を形成してきているわけで、何一つ
として働き手が責められなければならない事情っていうのはないわけです。そのことが非常に衝撃的でした。
あの全てを経済社会のメカニズムっていうか、貧富の格差が非常に大きくなっていくというメカニズムの中
に人々の生活を飲み込んでおきながら、それはお前のせいだって非難する。そして自分自身を責めなけれ
ばいけないという状況に追い込んでいく。そうすると、人々は貧困と闘うっていうことが出来なくなっちゃうわ
けですよ。自分が悪いっていって、まずじぶんを責めなきゃいけないから。だから打撃性ていうものも含めて
日本の社会に蔓延しているものには非常に背筋の寒い思いをさせられました。
◇ パートの低賃金は性差別
じゃあ日本では、低賃金あるいは買いたたきというものが何によってもたらされて、そして誰が影響を被っ
てきたのかっていうことを見てみたいと思うわけです。先ほど私は生活保護給付との比較において八百円労
働というものを、そこそこ健康で文化的な生きていく為の最低水準を得ようと思ったら、死ぬほど働かなけれ
ばならないパート労働というのを紹介しましたが、そのパート労働というものは若者に増えてきています。そう
いう低賃金が、誰かに依存しなければ生きていけない、そういう低賃金が若者に広がったということについて
ピンとくるものがあります。ある人が若者たちをパラサイトシングルと評価したことがありますけれど、女性が
パラサイトして生きている、だからこその低賃金というものが、親にパラサイトして生活している若者たちのな
かに広がっているというのも必然だったと思います。
じゃあ、どうして私たちの社会は何十年に渡って、この低賃金労働を許容してきたのかということを言いた
いんです。若者たちに広がって初めて危機感を持つ、そういういうとらえ方は私は間違いだと思うんです。間
違いのもとは、三十年も四十年もから始まっていました。そしてそれを許容してきたからこそ、パートタイム労
働者は、産業社会の中で中心に位置づけられて、基幹労働力化させられながら、正規労働者との賃金格差
は拡大し拡大し拡大してきた。買いたたかれつづけてきたわけです。で、何故こういうことを、まあ労働組合が
強かったこともあって、春闘なんかも取り組まれてきて、にも関わらず、どうしてパートの賃金だけが枠外にさ
れてきたのか。その理由というのがなによりも問題だと思います。
日本の正規雇用の雇用関係、それが今、労働ビックバンということで破壊されようと、ターゲットになってい
るわけですけれど、その影で女性労働というのは、男性労働の影で買いたたかれ続けてきたわけです。その
論理は、家計補助的労働である。男は仕事、女は家庭という性役割というのを前提にして、そして男性には一
家を支えていくだけの賃金を支給し、女性の賃金は一家を背負ってないから低賃金でも構わないのだ、そうい
うとらえ方が労働組合の中にも多くありました。
◇ 「男性にも女性並の時間規制を!」だった
労働時間規制の一番の基本というのは実はどれだけ労働から離れて自由を確保できるかっていうのが基
本的人権たる意味あるところでありまして、男性の基準というのはそういう意味では男だから国際基準を無
視しても頑張って働いてもらわなければいけないという非常に差別的な基準だったんですね。男だから頑張
らなきゃいけないというのは、私はこれは差別だと思うんですね。男だから泣いちゃあいけないっていう、この
おかげで男の中に鬱病が多いというの知ってます?涙を流すことで心の中の悲しみを一緒に流してくれると
いう、だから涙と一緒に流しましょうって演歌なんかでありますけれど、精神科医なんかに言わせればあれは
本当のことだと言うんですね。だから泣いちゃあいけないという行動規範を持っている男性たちというのはな
かなか悲しみだとか苦しみから解放されないっていうことが言われます。だから、男は黙ってとか、頑張らな
きゃいけないとかいう価値観というのは男性に対する差別、それと同じように男だから国際基準を下回っても
ハードに働かなければいけない、この規制の基準の適用を受けなければいけないというのは男性に対しての
差別だと思います。だから本来的な意味で人間性ということを基本にすれば、私は当時の労働運動は、男性
達が自分たちが差別されているんだから、自分たちに女性並みの労働時間規制を、という声を挙げてしかる
べきだったと思いますね。
当時の議論というのは、どれだけ労働からの自由を確保できるかていうことから、どれだけ働けるかってい
うことに滑り込んでしまった。女性の規制を緩和するということに対して、自分と同じくらい働けるのかという議
論になっちゃう。財界の方からは男性並みに働けるのか、こういう論理で規制を緩和させていく、撤廃させて
いくということになるもんですからね、だから長く働けるのが正社員の特権みたいになっちゃう。その中で仕事
と家庭を両立させるんだったら、短時間のパートで、それは低賃金でもかまわないなっていう、こういう考え方
っていうのは、やっぱり社会の中で温存されていくっていうことになるわけです。
でもこういう考え方って私すごくおかしいと思うんですよね。仕事と家庭の両立っていうのは正社員であろう
となんだろうと保障しないといけないものなんですよ、家族がいるんだから。こういうおかしさっていうものに気
づくならば、パートの賃金、それはおかしいんじゃないかということで底上する方向に持って行かなきゃいけな
かったけれど、なかなかそういう所にまでエネルギーを注ぐということにはならなかったというのが、パート的
低賃金を放置するという非常に大きな要因というのを作ったわけです。
◇ 商取引契約で労働条件が決められる
非正規雇用の打撃的な側面というのは、有期雇用という面に加えて、派遣だとか請負だとか商関係を含ん
だ労働関係になるということです。自治体なんかが民間委託しますよね。サービスを提供していくのに民間の
会社と入札して契約を結ぶ。そしてその民間の会社に雇用されている労働者がこういう所でああいう所で働く、
学校の給食で働くっていう、そういう関係が三極構造ですね。これを商取引を含んだ間接雇用というふうにい
っているわけです。直接労務の提供を受ける側が雇用しない。業者間の契約で労働条件をきめていくというこ
とになります。労働派遣にしても請負にしても労働者の労働条件を実質的に決めているのは業者間で結ばれ
る契約、請負契約だとか派遣契約だとか、そういう商取引契約なんですね。
労働者は雇用主と労働契約を結んでいますから、その雇用主との間では労働法は全面的に適用されるん
ですが、実質的に労働条件だとか雇用条件を決めるのは商取引契約ということが非常に打撃的だっていう
のが、どんな意味でだっていうと、先ほど私は、規制緩和との関係で労働法の意義を申しましたけれど、人間
の労働というのは商品より値崩れしやすいんですね。白菜なんかが大量に生産されたときに土に返して、消
費市場に出回る量を調整できるというのが商品の特徴なんです。ですから、価格を保つということが可能なん
です。人間の労働というのはその日その日を生きていかなければいけない。例えば、自分の技能というのが
市場の中で値段が落っこちてきたときに、ちょっと有利になるまで冷凍室で冬眠するかなということはできな
いんです。どんなに買いたたかれてもその時に契約を結んで、自分の労働を提供してその対価として賃金を
得なければいけないんですね。食べるために。それが人間の労働の特徴、生身の労働という言葉がピッタリ
の特徴でして、従って競争原理に従ったときに値崩れしやすい。だから競争を抑制しないと、人間の労働とい
うものを適切に、産業の基盤としても権利を主張していくということができないという、そういう関係にたつわけ
です。だから労働法というのは競争を抑制するということで非常に重要な法律です。産業社会の基盤なんです。
労働法だけじゃなくて、実は労働組合というのもありますよね。労働組合は今日なくてはならない存在として、
法制化されています。権利が認められています。労働組合法は使用者にはその労働組合を潰してはいけな
いと規制をかけていますけど、労働者側に労働組合はこれをしなくてはいけないという義務付けを一切してお
りません。自由に労働組合をつくり、自由に活動し、競争を抑制して欲しいと言っているわけです。
◇ 格差は人格的な差別だ
じゃあ、非常勤だとかパートだとか派遣で働いている人たちがこの現実の格差をどういう風に受け止めて
いるのかっていうと、とても耐えられない格差として受け止めています。でもそのことについて、正規労働者
は隣に座っている人の痛みっていうものが分かってないんですね。自治労のアンケート調査なんかよく拝見
させていただくんですけれども、給料の支給日に出勤できなくなるっていう、一律の支給日には絶対に行か
ないという、そういう回答してくる、非常勤の方多いです。気持ちを切り替えないと働き続けられないって言っ
ていますよね。なぜなのかっていうと、格差っていうのはやっぱりあなたにはこれだけの分しか期待していな
いというか、これだけ安く買いたたいても構わないお前なんかっていうことを、お金で刻印されるっていうこと
なんです。それはものすごい差別なんです。経済的格差なんていうきれい事の格差じゃないんですよ。だか
ら、人間に対しての人格的な差別なんですよね。それをね、毎日毎日見せつけられるっていうことがどれだ
け苦痛なのかということを考えてみなければいけない。それに挑んでいけって言われるわけでしょ。挑むって
いうことは見続けなければいけないから、とてもじゃないけど耐えられないんですよ。こういう待遇改善という
のが自分自身を解放していく喜びであり、そしてなにがしかの形で自分は大事な存在なんだと自覚できるよ
うな運動を組織していかないと、均等待遇の運動なんて辛くてやっていられないですよ。
◇ 労働からの自由は基本的人権だ
今から120年前にアメリカでゼネストをかまえて、労働者が8時間労働制の獲得を要求した時に唄った歌っ
ていうのがあるんですね。「一日8時間労働制の歌」っていうのがあるんですけど、その歌詞が「一日8時間は
収入の為に、その次の8時間は休息のために、残り8時間は自分自身のために」。自分自身の自由の時間、
8時間というのはこれは人権だっていうんですね。そこに8時間労働の人権たる由縁があって、使用者は労
働者を長く働かせた時には、その人権という自由な時間を侵害して働かせた、自分の為にね。そうすると、制
裁を受けるんだっていう考え方に基づいて割増賃金というのはあるんです。制裁金なんですよ。だから、労働
者は長く働いた時には、生活できても、仮にその所定内の賃金で生活できたとしても絶対的に8時間を超えた
り、週 時間を超えたり、休日に働いた時には割増賃金は払わせきゃだめなんです。そうでなければ、人権を
破壊していく連鎖の中に置かれてしまうからです。こういう、働き手にとって最も基本となる労働からの自由、
これは実は政治的市民的な自由を労働者に保障する上で極めて重要だということを申し上げておかなけれ
ばならない。
◇ 差別のない労働を分かち合うシステムを
私は展望が見えていると思います。このような改革がさらに進められるということを許容しているという国は
ありません。例えば、アメリカでどんどん規制緩和が行われてきました。アメリカで今なにが起きているのかと
いいますと、公契約というか、自治体が契約を結ぶ企業においては生きていけるだけの賃金を払わなければ
いけない、それから、差別があってはいけない、労働組合を認めなければいけない。こういう条例を制定して
パブリックな分野から、人として生きていけるだけの労働法上の権利を保障するっていうことを地域からルー
ル化していく。これがアメリカでは百を超える自治体でやっている。日本のように市場ベースで市場原理にさら
して、とにかく安ければいいんだというやり方からはもうさようならしなければいけないという流れにあるわけで
す。
ニュージーランドはもうこの流れに決別しましたし、ヨーロッパは何をやっているかというと、こういう競争
関係の中で社会から排除されてしまう人たちを排除できないように、産業社会の主人公として社会の中に一
緒に働けるように橋渡しをするための積極的な労働政策、つまり雇用を紹介したり、生きていけるだけの労働
を保障するために中小零細企業の中で、財政的にやっぱり足りないというような中小零細企業もあるわけで
そういう所に賃金補助というシステムを作って、低賃金労働というものに上乗せするっていう、そういうシステム
を開発したりだとか、非常に創意工夫をこらして、雇用に重点的に財政を投下することによって、労働をシェア
していく流れを作ってきているわけです。
日本というのは、そういう意味で遅れをとっているという風に見なければなりません。国際機関はもう、市場
原理に任せてよいという論理はとりません。むしろ資本の活動をどれだけ社会政策によって、国や地方自治
体、ガバナンスによって規制できるか、公正なグローバル化に向けて人類の英知っていうものを発揮させて
いかなければ、本当に地球温暖化に象徴されるように人類は生き延びていけない、というところまできている
わけです。
ですから国際的な流れから言えば私たちは多数派だと思うんです。この多数派としての立場っていうのを
どれだけ今年頑張ってみんなで流れを作ることができるのかっていうことにかかっていまして、職場の中では
先ほど申し上げたような、非正規の立場で働いている人、正規労働も非常に厳しい立場にあるわけですが、
分断されるのではなくて、我が問題としてお互いに手をつないで、同じ方向を向いて、改善の取り組みができ
るような、そういう体勢が作れるのかどうかっていうこれが問われているんだろうと思うんです。私はこの繋が
り、リンクができた時には必ず勝利することができると思います。そして、この格差や差別を作り出してきた社
会のあり方っていうのを新しい、差別のない労働を分かち合っていけるようなシステムっていうのを実現するこ
とができていくんじゃないかという風に思っておりますので、皆さんには是非、冒頭でも申し上げましたけど、
本にこれが書いてあるからということではなく、自らの目と肌で現場っていうものを掴んでいただいて、そして
邁進していただきたいということを申し上げて、私の問題提起とさせていただきます。どうも最後までありがと
うございました。
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